2013年03月26日
Posted by こち at
◆ 2013年03月26日22:45 Comment(2)
庵治御殿山磐座
庵治町、大仙山には磐座、立石、ストーンサークルらしきものが立っている。

ここには正確な方位石があり、東西南北を指している。

ここから海を眺めると、半島の先にさらにつながった小さな半島が見える。
ここへ来る途中の道から、この小さな半島の小山に神社があるのが見えていた。

N氏「あそこの神社行ってみましょう。」
神社マニアの彼は、変わった神社を探して訪ねるのが趣味である。
彼がみつけて来た神社の裏山に登ると磐座があるという事実が数回ある。
彼自身は、磐座探しは興味がないのだが、彼は私にとってはトリュフを探す豚。
行かねばならない。
一度山を降り、小山に近づくと、「セカチュー」のロケ地の看板があちらこちらに。

どうやらこの小山もロケ地になったようだ。
神社に上るとアベックがブランコにいる。後から知ったことだが、映画の中で主人公たちがそのブランコに乗っているシーンがあったらしい。
この皇子神社といい、応神天皇の皇子「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」という人物を祀っている。
このうじのわきいらつこという人、応神天皇亡き後、後の仁徳天皇と皇位を譲り合い、どちらも譲歩して埒があかないので自害してまで譲ったというえらく欲のない人物であったらしい。
その名の通り、御陵は京の宇治にあるらしい。
そんな皇子をどうしてこんなところに祀っているのかは知らないが、映画のロケ地になったのにもうなずけるよい所である。
いろいろ考えながら参っていると、なんとなくおっさん二人組を怪しむアベックの視線。
ここからは早いところ退散したほうがよさそうである。

と、案内板を見ると、この小さな半島の先に松平のお殿様の避暑地があると書いてある。
そもそもこの御殿山という名前もそこから来ているそうだ。
そそくさと遊歩道へ逃げ込む。
しばらく歩くと、崖側に平らな石組。遊歩道を作るため削ったのかもしれないが、コンパスを見ると真西に向いている。

よくよく崖の上を見ると藪の中にも平らな鏡岩らしき大石が石組とともに立っている。遊歩道とは関係ない位置にあるし、下の平らな石にはお供えもしてあったので、昔からあった物であろうと思われる。

真西の海側に鏡岩があるということは、他の方向にもある可能性がある。
少し進むと、頂上展望台への案内図。

説明書きには、なんと頂上に昔から磐座があるというではないか。
迷わず頂上へダッシュするアラフォーのおっさん、それを追いかけるアラサー。
頂上の磐座は想像以上に大きく、真北の海に向かっていた。


西、北と巨石があるのだから、東はどうか。
頂上東側は切り立っており石はなさそうである。
では、南はと、少し下ると藪の中に石組を発見。古墳の玄室のような気もするが、大元は真南に向いた鏡岩だったのだろう。


皇子神社はもともとこの蛭子神社の位置にあったものを現在の位置に移したそうである。

こんな思わぬ発見を導いてくれるトリュフ探しのN氏も今月いっぱいで故郷の島へと帰ってしまう。

これからは、もっと自分の嗅覚を磨いて豚よりも敏感にならなくてはならないと夕暮れの中、決意するおっさんであった。
ここには正確な方位石があり、東西南北を指している。
ここから海を眺めると、半島の先にさらにつながった小さな半島が見える。
ここへ来る途中の道から、この小さな半島の小山に神社があるのが見えていた。
N氏「あそこの神社行ってみましょう。」
神社マニアの彼は、変わった神社を探して訪ねるのが趣味である。
彼がみつけて来た神社の裏山に登ると磐座があるという事実が数回ある。
彼自身は、磐座探しは興味がないのだが、彼は私にとってはトリュフを探す豚。
行かねばならない。
一度山を降り、小山に近づくと、「セカチュー」のロケ地の看板があちらこちらに。
どうやらこの小山もロケ地になったようだ。
神社に上るとアベックがブランコにいる。後から知ったことだが、映画の中で主人公たちがそのブランコに乗っているシーンがあったらしい。
この皇子神社といい、応神天皇の皇子「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」という人物を祀っている。
このうじのわきいらつこという人、応神天皇亡き後、後の仁徳天皇と皇位を譲り合い、どちらも譲歩して埒があかないので自害してまで譲ったというえらく欲のない人物であったらしい。
その名の通り、御陵は京の宇治にあるらしい。
そんな皇子をどうしてこんなところに祀っているのかは知らないが、映画のロケ地になったのにもうなずけるよい所である。
いろいろ考えながら参っていると、なんとなくおっさん二人組を怪しむアベックの視線。
ここからは早いところ退散したほうがよさそうである。
と、案内板を見ると、この小さな半島の先に松平のお殿様の避暑地があると書いてある。
そもそもこの御殿山という名前もそこから来ているそうだ。
そそくさと遊歩道へ逃げ込む。
しばらく歩くと、崖側に平らな石組。遊歩道を作るため削ったのかもしれないが、コンパスを見ると真西に向いている。
よくよく崖の上を見ると藪の中にも平らな鏡岩らしき大石が石組とともに立っている。遊歩道とは関係ない位置にあるし、下の平らな石にはお供えもしてあったので、昔からあった物であろうと思われる。
真西の海側に鏡岩があるということは、他の方向にもある可能性がある。
少し進むと、頂上展望台への案内図。
説明書きには、なんと頂上に昔から磐座があるというではないか。
迷わず頂上へダッシュするアラフォーのおっさん、それを追いかけるアラサー。
頂上の磐座は想像以上に大きく、真北の海に向かっていた。
西、北と巨石があるのだから、東はどうか。
頂上東側は切り立っており石はなさそうである。
では、南はと、少し下ると藪の中に石組を発見。古墳の玄室のような気もするが、大元は真南に向いた鏡岩だったのだろう。
皇子神社はもともとこの蛭子神社の位置にあったものを現在の位置に移したそうである。
こんな思わぬ発見を導いてくれるトリュフ探しのN氏も今月いっぱいで故郷の島へと帰ってしまう。
これからは、もっと自分の嗅覚を磨いて豚よりも敏感にならなくてはならないと夕暮れの中、決意するおっさんであった。
2013年03月13日
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◆ 2013年03月13日21:54 Comment(0)
猪原峠旧街道磐座
国道32号線猪原トンネル手前を山側に入っていくと、旧国道になる。

この旧国道をさらに旧街道へ入って、四国の道を進むと、登りきったところに自転車、バイク止めのゲートがある。
ここが中蓮寺峰で、磐座がある。磐座の前には旧街道らしく祠と灯篭が安置されている。

ここは北側に展望がよく、祠は真北を向いている。
樹木に覆われているが、西側から見ると組石が見える。

東西にふたつ組石があり、旧街道はその間を通っており、あたかもゲートの様である。

讃岐山脈でこの種の磐座をみつけたのは初めてだが、よくよく開けた北側を見ると、平野部の磐座のある小山が見える。

ここもそのネットワークの一つなのかもしれない。
帰り道、箸蔵寺へ行こうと増川林道へ入ると、
残念、完全舗装されてます。

早速、至る所で崩落していますが。
四国からまた一つダートが減りました。
この旧国道をさらに旧街道へ入って、四国の道を進むと、登りきったところに自転車、バイク止めのゲートがある。
ここが中蓮寺峰で、磐座がある。磐座の前には旧街道らしく祠と灯篭が安置されている。
ここは北側に展望がよく、祠は真北を向いている。
樹木に覆われているが、西側から見ると組石が見える。
東西にふたつ組石があり、旧街道はその間を通っており、あたかもゲートの様である。
讃岐山脈でこの種の磐座をみつけたのは初めてだが、よくよく開けた北側を見ると、平野部の磐座のある小山が見える。
ここもそのネットワークの一つなのかもしれない。
帰り道、箸蔵寺へ行こうと増川林道へ入ると、
残念、完全舗装されてます。
早速、至る所で崩落していますが。
四国からまた一つダートが減りました。
2013年03月11日
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◆ 2013年03月11日23:47 Comment(0)
国分八幡宮の磐座
高松市国分寺町の国分寺に近い所に、国分八幡宮は鎮座する。
県道33号線沿い、マルヨシセンターの本社の横の道を奥に行ったところである。
天気もいいので、自転車でとばす。
平均27km/h。快調。
途中、国分寺跡で休憩、水を飲もうとボトルゲージに手を伸ばすと、何も無い。
しょうがない。自販機で買うかと財布を探すが、こちらも入っていない。
大丈夫。こんな時のために、パンク修理材のケースに500円玉を入れている。
ありゃ、パンク修理材自体が入っていない。
ここまで来て、引き返すわけにもいかない。
帰るまで我慢するほかない。
国分八幡に到着。

神社は少し高台に鎮座している。
境内に早速、磐座。

手水で清める際、口をゆすいだ水を耐え切れず飲み込んでしまう。
腹も減ってきたが、これ以上はしかたない。財布もないので、お賽銭もない。また、今度もって来ますとお詫びをして手を合わす。
社殿の裏にはさらに大規模な巨石群が鎮座している。

地表に出ている岩盤の上に、かなり風化した組石が複雑に配置されている。

ところどころ人工的な切り目や盃状穴的なくぼみも存在する。

同じ規模の磐座は、山上には多く存在するが、香川県内で、平地に近い所に残っている磐座としては最大級であろうと思われる。

ここの磐座は、丁寧にご神体として保存されているので、柵の中には入れない。
一回りすると、さらに奥に鳥居がたっている。
この奥にも何かあるのは確かである。
行かないわけにはいくまい。
鳥居をくぐり、先へ進むと、山道になってきた。どうやら山上に社はあるらしい。
ハンガーKOが恐いが、高い山ではなさそうなので行ってみる。
足元は、きめの細かい火山灰の様である。

山頂に近づくにつれ、岩石が顔を出してくる。溶岩でできた山の様である。


頂上には、社と三角点。

この山は、大禿山(176m)というらしい。この時初めて知った。
近隣の山のような磐座はここにはなかったが、いくつか磐座を確認している山が見渡せる。

山自体が岩でできているので、そういった施設は必要ないのかもしれない。
私の考えでは、磐座は古代、前文明の通信施設の土台である。山自体が岩石であれば、他の山のようにわざわざ土の上に石を並べ、組み上げて土台を作る必要がなかったのかもしれない。
山頂に直接設備が設置されていたのであろう。

帰り道、33号線と11号線の交差手前に、石積みを見つけたので近寄ってみる。

讃留霊王の七代目の日向王の墓とある。こじんまりとしているが、幹線道の脇にあるのだから、だんだん減っていってこの規模になっていくのも仕方ないことであろう。
そういえば、猿坂近くの讃留霊王の墓といわれているものも、規模はもっと大きいが同じような石積みであった。
飯山の讃留霊王の墓は、きちんとした古墳であるので、猿坂近くのものは本物でないかもしれないと思ったが、こうして讃留霊王の子孫の墓といわれるものが、同じような作りであるとなると、あながちあちらも嘘ではないかもしれない。
県道33号線沿い、マルヨシセンターの本社の横の道を奥に行ったところである。
天気もいいので、自転車でとばす。
平均27km/h。快調。
途中、国分寺跡で休憩、水を飲もうとボトルゲージに手を伸ばすと、何も無い。
しょうがない。自販機で買うかと財布を探すが、こちらも入っていない。
大丈夫。こんな時のために、パンク修理材のケースに500円玉を入れている。
ありゃ、パンク修理材自体が入っていない。
ここまで来て、引き返すわけにもいかない。
帰るまで我慢するほかない。
国分八幡に到着。
神社は少し高台に鎮座している。
境内に早速、磐座。
手水で清める際、口をゆすいだ水を耐え切れず飲み込んでしまう。
腹も減ってきたが、これ以上はしかたない。財布もないので、お賽銭もない。また、今度もって来ますとお詫びをして手を合わす。
社殿の裏にはさらに大規模な巨石群が鎮座している。
地表に出ている岩盤の上に、かなり風化した組石が複雑に配置されている。
ところどころ人工的な切り目や盃状穴的なくぼみも存在する。
同じ規模の磐座は、山上には多く存在するが、香川県内で、平地に近い所に残っている磐座としては最大級であろうと思われる。
ここの磐座は、丁寧にご神体として保存されているので、柵の中には入れない。
一回りすると、さらに奥に鳥居がたっている。
この奥にも何かあるのは確かである。
行かないわけにはいくまい。
鳥居をくぐり、先へ進むと、山道になってきた。どうやら山上に社はあるらしい。
ハンガーKOが恐いが、高い山ではなさそうなので行ってみる。
足元は、きめの細かい火山灰の様である。
山頂に近づくにつれ、岩石が顔を出してくる。溶岩でできた山の様である。
頂上には、社と三角点。
この山は、大禿山(176m)というらしい。この時初めて知った。
近隣の山のような磐座はここにはなかったが、いくつか磐座を確認している山が見渡せる。
山自体が岩でできているので、そういった施設は必要ないのかもしれない。
私の考えでは、磐座は古代、前文明の通信施設の土台である。山自体が岩石であれば、他の山のようにわざわざ土の上に石を並べ、組み上げて土台を作る必要がなかったのかもしれない。
山頂に直接設備が設置されていたのであろう。
帰り道、33号線と11号線の交差手前に、石積みを見つけたので近寄ってみる。
讃留霊王の七代目の日向王の墓とある。こじんまりとしているが、幹線道の脇にあるのだから、だんだん減っていってこの規模になっていくのも仕方ないことであろう。
そういえば、猿坂近くの讃留霊王の墓といわれているものも、規模はもっと大きいが同じような石積みであった。
飯山の讃留霊王の墓は、きちんとした古墳であるので、猿坂近くのものは本物でないかもしれないと思ったが、こうして讃留霊王の子孫の墓といわれるものが、同じような作りであるとなると、あながちあちらも嘘ではないかもしれない。
2013年03月06日
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◆ 2013年03月06日00:11 Comment(0)
最上稲荷の謎
岡山県は、総社市に鎮座する最上稲荷。
最上稲荷といえば、縁結びであるとか、テレビ局とコラボした「〇H君お守り」などというふざけたゆるいキャラお守りで有名(岡山、香川に限る)で、ナンパなイメージがつきまとう。
そもそも稲荷という名前から、神社であろうと思われているが、実際には、お寺の中の末社のような存在にすぎない。今では、お稲荷さんだけが有名になっているが、山門はインドっぽい。山門をくぐると、参拝客を圧倒させる巨大なコンクリート製の本殿に若干、違和感を感じてしまう。
友人の一人I氏は、この俗っぽい境内にあてられて、さっさと帰ろうとする始末。彼にとっては、かの有名な「最上稲荷」の姿に失望を感じてしまったようである。
私にしても、今回の旅の伴である長崎出身のN氏が是非にと希望したから来ただけで、大きな期待は抱いていなかった。
本殿参拝を済ませた後、
「もう、帰ろうで」
とのたまうI氏を無理やり引っ張り、旧本殿まで行く。
お参りして、方向転換した右手のトイレの横に、「八畳岩」なる道標を発見。なんでも、昔、高僧がこの岩の上で仏様の御光臨にあわれたとか書いてある。
「岩」と聞いて、引き下がっては、巨石マニアの名がすたる。暮れかけた日を背に二人を引っ張るが、I氏は、
「山門の前で待つ」という。
N氏も
「本当に行くんですか?」
「弟子は四の五の言わずついて来い。」
人の意見よりも、自分の興味のために突っ走る私。
N氏だけを連れ、遊歩道に入った。
「八畳岩」は頂上辺りにあるというのだが、一歩この遊歩道に入った途端、巨石が目に入る。
でかい。

明らかに三段に積み重ねられた巨石。

巨石は、点在しているのではなく、敷き詰められた、もしくは積み上げられたように並んでいる。

更に進むと、より大きな石組が聳え立つ。
これは、この日午前中に登った広島の葦嶽山よりも、はっきりとした人工物では?

別角度から見ても巨石の積石である。
これを自然石です、というには無理がありはしないか?
石組は、祭壇になっていて、上の方まで登れる。
「ここ登るんですか?」
とN氏。
「弟子は四の五の言わずついて来い。」
とバカの一つ覚え。


ちょうど、日が沈みかけている。この面が真南を向いている。

さらに登ると、崩れた石段が続く。

平らな部分にも石が敷かれているような、並べられているような。

開けた部分に到着。鯨石が3つ並んでいる。
ここはまだ頂上ではないが、この南側に「八畳岩」がある。

さらに南にもう一つ鯨石。

南端に、「八畳岩」はある。
ここも平らな石を数個積み重ねている。

八畳岩の下は修行をしていたという岩屋とのことであるが、座るのがやっとの狭さ。

八畳岩上部の石。

八畳岩から真南の平野を望む。

石積みはほぼ、全山を包むように並べられており、これこそ人工物のようである。葦嶽山については、半信半疑であるが、ここはほぼ、確信する。
ピラミッドである。
最近、妄想がひどいといわれてる。歳とったかな?
最上稲荷といえば、縁結びであるとか、テレビ局とコラボした「〇H君お守り」などというふざけたゆるいキャラお守りで有名(岡山、香川に限る)で、ナンパなイメージがつきまとう。
そもそも稲荷という名前から、神社であろうと思われているが、実際には、お寺の中の末社のような存在にすぎない。今では、お稲荷さんだけが有名になっているが、山門はインドっぽい。山門をくぐると、参拝客を圧倒させる巨大なコンクリート製の本殿に若干、違和感を感じてしまう。
友人の一人I氏は、この俗っぽい境内にあてられて、さっさと帰ろうとする始末。彼にとっては、かの有名な「最上稲荷」の姿に失望を感じてしまったようである。
私にしても、今回の旅の伴である長崎出身のN氏が是非にと希望したから来ただけで、大きな期待は抱いていなかった。
本殿参拝を済ませた後、
「もう、帰ろうで」
とのたまうI氏を無理やり引っ張り、旧本殿まで行く。
お参りして、方向転換した右手のトイレの横に、「八畳岩」なる道標を発見。なんでも、昔、高僧がこの岩の上で仏様の御光臨にあわれたとか書いてある。
「岩」と聞いて、引き下がっては、巨石マニアの名がすたる。暮れかけた日を背に二人を引っ張るが、I氏は、
「山門の前で待つ」という。
N氏も
「本当に行くんですか?」
「弟子は四の五の言わずついて来い。」
人の意見よりも、自分の興味のために突っ走る私。
N氏だけを連れ、遊歩道に入った。
「八畳岩」は頂上辺りにあるというのだが、一歩この遊歩道に入った途端、巨石が目に入る。
でかい。
明らかに三段に積み重ねられた巨石。
巨石は、点在しているのではなく、敷き詰められた、もしくは積み上げられたように並んでいる。
更に進むと、より大きな石組が聳え立つ。
これは、この日午前中に登った広島の葦嶽山よりも、はっきりとした人工物では?
別角度から見ても巨石の積石である。
これを自然石です、というには無理がありはしないか?
石組は、祭壇になっていて、上の方まで登れる。
「ここ登るんですか?」
とN氏。
「弟子は四の五の言わずついて来い。」
とバカの一つ覚え。
ちょうど、日が沈みかけている。この面が真南を向いている。
さらに登ると、崩れた石段が続く。
平らな部分にも石が敷かれているような、並べられているような。
開けた部分に到着。鯨石が3つ並んでいる。
ここはまだ頂上ではないが、この南側に「八畳岩」がある。
さらに南にもう一つ鯨石。
南端に、「八畳岩」はある。
ここも平らな石を数個積み重ねている。
八畳岩の下は修行をしていたという岩屋とのことであるが、座るのがやっとの狭さ。
八畳岩上部の石。
八畳岩から真南の平野を望む。
石積みはほぼ、全山を包むように並べられており、これこそ人工物のようである。葦嶽山については、半信半疑であるが、ここはほぼ、確信する。
ピラミッドである。
最近、妄想がひどいといわれてる。歳とったかな?
2013年03月04日
Posted by こち at
◆ 2013年03月04日23:48 Comment(0)
中国少数民族の旅 1

湖北省、湖南省、四川省の山間部は土家族、苗族、侗族等複数の少数民族が入り混じり暮らしている。
日本ではあまり知られていない土家族はその中でも人口が比較的多く、古代春秋の巴国人の末裔とも言われる。巴国は、重慶、四川、湖北省の隣接する地域にあったとされ、漢民族とは全く違い、ペルシャからの移住者を祖先に持つという。
ただ、身体的特徴は、漢民族化しており、ほとんど見分けはつかず、鼻筋がとおっている人が多いことくらいである。

秦の始皇帝の時代には、秦朝より独自の自治権を与えられており、古くからこの地に居住していた民族である。
土家とは「地元の民」の意味なので、洞穴のような家に住んでいるという意味ではなく、独自の文字は持たないものの、漢民族に劣らぬ、文明的に開けていた民族である。
苗族は、古代は平原に住んでいた民族で、漢民族の侵入により山へ追いやられたといわれている。
近代化により各民族独自の文化、風習は薄れつつあるが、近年、民族舞踊の大会が行われたり、侗族伝統の「風雨橋(タイトル写真)」等が修復、再建されたりと、その文化が見直されつつある。
まずは、代表的な建物を紹介していきたい。
涼亭橋

湖北省慶陽涼亭橋
川を渡るための手段としてよりも、人々の憩いの場としての東屋的橋で、名前の通り、涼むところである。その証拠に、慶陽の涼亭橋では、向こう岸には板をかけて通れるようにはなっているが、橋は片側の岸とは繋がっておらず、橋桁の途中で終わっている。
橋の向こうは、アーケード的な商店街になっており、雨が降っても一応濡れないが、薄暗いので、市が立つ日でなければ閑散としている。

湖南省西北部の涼亭橋
こちらの涼亭橋は、思い切りよく、一方がたんぼで下りられもしない。
侗族鼓楼

侗族は川岸に居住するため、橋や楼閣式の木造建築に優れている。
風雨橋
侗族の風雨橋は、巨大なあずまやである。橋上にベンチがあり、手すりにもたれて黄昏れるもよし、ベンチで将棋を打つのもよし、市民の憩いの場所になっている。
続く
2013年03月02日
Posted by こち at
◆ 2013年03月02日01:17 Comment(0)
立石公園
高松香西の勝賀山のすぐ横の丘のような小山に立石公園はある。
浜街道沿いにある芝山神社に巨石があるのを確認して以来、この近辺に他にも巨石遺構があるに違いないと地図とにらめっこしていた際みつけたこの「立石」という名前。
何かあるに違いない、と実際に行ってみた。

真ん中で割れているらしきこの巨石、往時はかなりな大きさであっただろうと思われる。
いろいろと新しい石仏や社が置かれて、名前が付けられている。

実際に行ったのは去年の9月だが、記録しておかないと忘れてしまうので、書こう書こうと思いつつはや半年近く。
案の定、詳細は忘れてしまっている。

北側にあるお寺の一部として大事に祀られているようである。

投石権現と書いてあるお堂。
お堂の中は、鏡岩だったらしいが、今は歌のような文字が彫られている。
この鏡岩、ほぼ真東を向いている。尾道千光寺と向島のような通信施設であれば、この向かい側の山にもう一つ鏡岩がこちらを向いているはずである。
ここから見れば、峰山がほぼ東にあたる。峰山の西面の調査に行かなくてはいけない。

南北に楕円形に配置されている巨石群は、南側に大きな立石がある。下の写真は北側から撮ったもの。

南側から立石。割れているとはいえ、かなりな大きさです。

南側遠くより撮った立石。立石は真南を向いている。

立石そばのほぼ真南の位置に鉄塔が立っている。通信施設を作る地勢というのは、古代も現代も変わりない証しである。

真西に勝賀山。

より大きな地図で 磐座 を表示
浜街道沿いにある芝山神社に巨石があるのを確認して以来、この近辺に他にも巨石遺構があるに違いないと地図とにらめっこしていた際みつけたこの「立石」という名前。
何かあるに違いない、と実際に行ってみた。
真ん中で割れているらしきこの巨石、往時はかなりな大きさであっただろうと思われる。
いろいろと新しい石仏や社が置かれて、名前が付けられている。
実際に行ったのは去年の9月だが、記録しておかないと忘れてしまうので、書こう書こうと思いつつはや半年近く。
案の定、詳細は忘れてしまっている。
北側にあるお寺の一部として大事に祀られているようである。
投石権現と書いてあるお堂。
お堂の中は、鏡岩だったらしいが、今は歌のような文字が彫られている。
この鏡岩、ほぼ真東を向いている。尾道千光寺と向島のような通信施設であれば、この向かい側の山にもう一つ鏡岩がこちらを向いているはずである。
ここから見れば、峰山がほぼ東にあたる。峰山の西面の調査に行かなくてはいけない。
南北に楕円形に配置されている巨石群は、南側に大きな立石がある。下の写真は北側から撮ったもの。
南側から立石。割れているとはいえ、かなりな大きさです。
南側遠くより撮った立石。立石は真南を向いている。
立石そばのほぼ真南の位置に鉄塔が立っている。通信施設を作る地勢というのは、古代も現代も変わりない証しである。
真西に勝賀山。
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