2014年11月10日

浙江古鎮廿八都

久々に中国へ行ってきました。

うちの嫁が里帰りするのを上海まで送ってきたという、なんだか贅沢なことをしているみたい。

で、そのついでにどっか遊びに行こうと、探しているところに偶然見つけた田舎町。

春秋航空の上海便が、先月から夜遅い便に変更になった上に、浦東機場に到着後、滑走路で長らく待たされ、空港を出たのは10時過ぎ。

いそいで空港バス2線で虹橋火車站へ。



適当に見つけたホテルに転がりこむ。

翌日、駅へ切符を買いに行くと、今日の便があるよ、とのこと。

ただし、席は無し。

浙江古鎮廿八都


中国の新しい電車、動車は新幹線のようなやつであるが、全席指定。

昔は、始発駅のみ全席指定で、それが売切れたら、始発駅では切符は売らないことになっていた。

ただ、途中乗車なら、どこの駅からでも乗れていたので、タクシーかバスで次の駅に行って無座のチケットを買う、なんてこともできた。
その後は、誰かが下車したらその席はフリーになるので、誰が座ってもよかった。

今は残念なことにコンピューターネットワークの時代である。

全ての駅のチケットシステムがつながっていて、どこからどこまで空席があるというのが、どこの駅でもわかるので、途中乗車でも座席は指定されている。

よって、いくら途中下車の乗客がいようと、次の瞬間には次の指定席券を持った乗客が乗り込んでくる。

無座の乗客は、ほぼ全線着座することはできない、という非人道的システムがまかり通っている。

値段は一緒なので、「そこは俺の席だ。座るんじゃねえ。」と当たり前に乗り込んでくる途中乗車の客を見ると、なおさら腹が立ってくる。

以上のような事情を20年ぶりに中国の列車に乗る私が知るはずもなく、当然、途中から座れるものと思い、その無座のチケットを買ってしまった。

以後、4時間半ほど立ちっぱなしになるとは知らずに。


今回の目的地は、浙江省の西の端、江西省と福建省との三省の交差する地域である。四国で言えば、阿波池田くらいの感覚。

列車は、上海虹橋を出発して、杭州を経て、江山へと向かう。ディーゼルのころなら一日かかるところであるが、今は新幹線。5時間ちょいで到着する。

終点江山の二駅ほど前から、乗車する客がいなくなり、ようやく座れることになるが、30分で到着。

浙江古鎮廿八都


事前に調べておいたバスターミナルへ、白タクで移動。

ここから路線バスで二時間いったところに目的の町廿八都はある。

この日は、運悪く金曜日の夕方、寄宿舎に入っている中学生が、実家に帰る便に乗ってしまったため、席には座れたものの、満員のバスに揺られることとなった。

4時に乗ったバスは、目的地に近づくにつれ、暗闇に吸い込まれ、到着した後、どうやって宿を探そうかと不安になっていたところ、横に座っているおばさんが話しかけてきた。

”你们去廿八都呀?“(あんたら廿八都行くんな?)

”是的“(そうや)

”有没有订旅馆?我帮你介绍旅馆、景区里有几家,我都认识。我们家还开着餐馆,有兴趣,你们过来吃饭。“(ホテル予約しとんな?紹介したげるで美観地区の中に何軒かあるけど、全部知り合いやきん。あと、うちはレストランやっとるきん、なんやったら、食べに来な。)

と、有益な情報を得る。

家の嫁は反対側に座っている中学生と話をしていると、そのいがぐり頭の少年の家もホテルを経営しているという。ただし、美観地区の外側だというので、我々はおばちゃんに着いていくことにした。

終点の一歩手前で、おばちゃんが下りるから着いて来いというので、真っ暗闇の道端に降りる。

おばちゃんの店で働く、親戚の女の子が迎えに来ていたので、その子の持つ懐中電灯を頼りに、石畳の道を下って行く。

すぐに、街の明かりが見えてきて、おばちゃんの店は道のどん突き、丁字路の向かい側にあった。

おばちゃんのおすすめの豆腐鍋と観音菜という野菜の炒めものを食べつつ、あたりを見渡すと、ちらほら観光客が夜の散歩をしていた。

浙江古鎮廿八都

食べ終わってから、宿の相談をする。

隣の宿は高いが、部屋がいい。向かいの宿は安い、と。

どっちでもいいというと、じゃあ、まず安い方の宿を見に行こうとおばちゃん。

そこは店から出て三軒目のレストラン兼民宿。安いが意外にきれいだったので、即決で決めてしまった。

荷物を降ろして、散歩に出る。

細い路地には提灯の電灯しかないので、いまいちどういう町並みなのかは見えない。

浙江古鎮廿八都


途中、夜景を一生懸命撮影する台湾のカメラマンと出会う。プロかと思いきや、本業はお茶屋さんだという。

彼らは夜景に夢中なので、我々は先へ進み、どうやら入場券売り場にたどり着く。

昼間は、管理人がいて街に入るのに料金がいるようであるが、複雑に入り組んだ路地は四方につながっており、すべて住民もいるので、他の道からならただで入れる。入場料を払っているのは、団体旅行で来た人間だけのようである。

翌朝、明るくなってようやくどういう町並みなのかがわかった。

浙江古鎮廿八都


説明によると、明、清時代の建物が密集して残っており、交通、軍事の要衝であるがゆえに、歴史を通して、外地からの移住者が多いとのことである。

浙江古鎮廿八都


民家は普通に人が住んでいて、通りに面した家は大体商売をしている。

昔の大きな商家は、共産党の時代になってからは没収され政府の管理下にあり、入場料を払って見学するようになっているが、居宅は貧しい民に分配されている。

浙江古鎮廿八都


北京なんかだとそういった元豪邸は、装飾品や建具を破壊され、中庭にはぼろ屋が増築されている場合が多いが、ここはずっと残っていたらしい。

浙江古鎮廿八都


気候は香川とほぼ変わらず、みかんとお茶が盛んで、各家の軒下から道路まで、お茶の実を干している。今がお茶油の最盛期で、山へ行くとお茶の実を採る人が一生懸命枝をしごいている。

お茶も椿も同じ系統なので、椿油と同じくお茶の実も良質の油が搾れる。中国では専ら食用にされ、高級品である。

この町の人間は皆、勤勉で、複数の業種を兼ねている人が多く、レストランのおばちゃんは4軒ほど店を経営しているし、宿の主人は農業のかたわら市場で野菜を売り、レストラン兼宿を経営している。主人の店で出されるお茶も自家製で、私の作ったお茶と同じで、香りがよく、甘い。朝、ここのばあちゃんが持って帰ってきていた野菜も、コメも自分の田畑で採れたもので、肉、魚以外はほぼ自給自足しているという。

よその田舎町だと、店先でぼんやりしている店主や、道端で麻雀して時間をつぶす人間が多い中、この町では、大体何か仕事をしている。

揚げ菓子を露店で作っているおばさん、別にいなくてもいいんだが、手伝う中学生の息子。

浙江古鎮廿八都

観光地の門前で、食べ物を売っているおじさん。日曜日で仕事が休みだから出てきて商売している。

豪邸の前庭でお茶の実をせっせと干す小学生の親子。

浙江古鎮廿八都

一番遊んでいるのは、切符切りの公務員である。


大きな町ではないので、2時間もあれば裏通りまでぐるりと回ることができるが、帰りのチケットはさらに次の日の午後の便。

普段、急ぎ足の旅行が多いので、たまにはのんびりとしてみようかと思い、別にすることもないのだが、ぶらぶらさんぽばかりしている。

浙江古鎮廿八都


山並みは美合の国道438号線沿いのような景色。田畑はうちの別荘(農地ともいう)と変わらず、野菜と果樹とお茶の木。

あんまり香川にいるのと変わらないなとおもいつつ、ぶらぶら。

田舎の人間はやっぱり田舎が落ち着きます。

帰りに上海経由するの面倒くさいなとおもいつつ、バスに乗り込み、これだけ辺鄙なところだともう二度と来ないだろうなと、振り返りつつ、いつもの帰り道のような感覚でバスに揺られる。

そんなところです。



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