2013年03月11日
Posted by こち at
2013年03月11日23:47 Comment(0)
国分八幡宮の磐座
高松市国分寺町の国分寺に近い所に、国分八幡宮は鎮座する。
県道33号線沿い、マルヨシセンターの本社の横の道を奥に行ったところである。
天気もいいので、自転車でとばす。
平均27km/h。快調。
途中、国分寺跡で休憩、水を飲もうとボトルゲージに手を伸ばすと、何も無い。
しょうがない。自販機で買うかと財布を探すが、こちらも入っていない。
大丈夫。こんな時のために、パンク修理材のケースに500円玉を入れている。
ありゃ、パンク修理材自体が入っていない。
ここまで来て、引き返すわけにもいかない。
帰るまで我慢するほかない。
国分八幡に到着。
神社は少し高台に鎮座している。
境内に早速、磐座。
手水で清める際、口をゆすいだ水を耐え切れず飲み込んでしまう。
腹も減ってきたが、これ以上はしかたない。財布もないので、お賽銭もない。また、今度もって来ますとお詫びをして手を合わす。
社殿の裏にはさらに大規模な巨石群が鎮座している。
地表に出ている岩盤の上に、かなり風化した組石が複雑に配置されている。
ところどころ人工的な切り目や盃状穴的なくぼみも存在する。
同じ規模の磐座は、山上には多く存在するが、香川県内で、平地に近い所に残っている磐座としては最大級であろうと思われる。
ここの磐座は、丁寧にご神体として保存されているので、柵の中には入れない。
一回りすると、さらに奥に鳥居がたっている。
この奥にも何かあるのは確かである。
行かないわけにはいくまい。
鳥居をくぐり、先へ進むと、山道になってきた。どうやら山上に社はあるらしい。
ハンガーKOが恐いが、高い山ではなさそうなので行ってみる。
足元は、きめの細かい火山灰の様である。
山頂に近づくにつれ、岩石が顔を出してくる。溶岩でできた山の様である。
頂上には、社と三角点。
この山は、大禿山(176m)というらしい。この時初めて知った。
近隣の山のような磐座はここにはなかったが、いくつか磐座を確認している山が見渡せる。
山自体が岩でできているので、そういった施設は必要ないのかもしれない。
私の考えでは、磐座は古代、前文明の通信施設の土台である。山自体が岩石であれば、他の山のようにわざわざ土の上に石を並べ、組み上げて土台を作る必要がなかったのかもしれない。
山頂に直接設備が設置されていたのであろう。
帰り道、33号線と11号線の交差手前に、石積みを見つけたので近寄ってみる。
讃留霊王の七代目の日向王の墓とある。こじんまりとしているが、幹線道の脇にあるのだから、だんだん減っていってこの規模になっていくのも仕方ないことであろう。
そういえば、猿坂近くの讃留霊王の墓といわれているものも、規模はもっと大きいが同じような石積みであった。
飯山の讃留霊王の墓は、きちんとした古墳であるので、猿坂近くのものは本物でないかもしれないと思ったが、こうして讃留霊王の子孫の墓といわれるものが、同じような作りであるとなると、あながちあちらも嘘ではないかもしれない。
県道33号線沿い、マルヨシセンターの本社の横の道を奥に行ったところである。
天気もいいので、自転車でとばす。
平均27km/h。快調。
途中、国分寺跡で休憩、水を飲もうとボトルゲージに手を伸ばすと、何も無い。
しょうがない。自販機で買うかと財布を探すが、こちらも入っていない。
大丈夫。こんな時のために、パンク修理材のケースに500円玉を入れている。
ありゃ、パンク修理材自体が入っていない。
ここまで来て、引き返すわけにもいかない。
帰るまで我慢するほかない。
国分八幡に到着。
神社は少し高台に鎮座している。
境内に早速、磐座。
手水で清める際、口をゆすいだ水を耐え切れず飲み込んでしまう。
腹も減ってきたが、これ以上はしかたない。財布もないので、お賽銭もない。また、今度もって来ますとお詫びをして手を合わす。
社殿の裏にはさらに大規模な巨石群が鎮座している。
地表に出ている岩盤の上に、かなり風化した組石が複雑に配置されている。
ところどころ人工的な切り目や盃状穴的なくぼみも存在する。
同じ規模の磐座は、山上には多く存在するが、香川県内で、平地に近い所に残っている磐座としては最大級であろうと思われる。
ここの磐座は、丁寧にご神体として保存されているので、柵の中には入れない。
一回りすると、さらに奥に鳥居がたっている。
この奥にも何かあるのは確かである。
行かないわけにはいくまい。
鳥居をくぐり、先へ進むと、山道になってきた。どうやら山上に社はあるらしい。
ハンガーKOが恐いが、高い山ではなさそうなので行ってみる。
足元は、きめの細かい火山灰の様である。
山頂に近づくにつれ、岩石が顔を出してくる。溶岩でできた山の様である。
頂上には、社と三角点。
この山は、大禿山(176m)というらしい。この時初めて知った。
近隣の山のような磐座はここにはなかったが、いくつか磐座を確認している山が見渡せる。
山自体が岩でできているので、そういった施設は必要ないのかもしれない。
私の考えでは、磐座は古代、前文明の通信施設の土台である。山自体が岩石であれば、他の山のようにわざわざ土の上に石を並べ、組み上げて土台を作る必要がなかったのかもしれない。
山頂に直接設備が設置されていたのであろう。
帰り道、33号線と11号線の交差手前に、石積みを見つけたので近寄ってみる。
讃留霊王の七代目の日向王の墓とある。こじんまりとしているが、幹線道の脇にあるのだから、だんだん減っていってこの規模になっていくのも仕方ないことであろう。
そういえば、猿坂近くの讃留霊王の墓といわれているものも、規模はもっと大きいが同じような石積みであった。
飯山の讃留霊王の墓は、きちんとした古墳であるので、猿坂近くのものは本物でないかもしれないと思ったが、こうして讃留霊王の子孫の墓といわれるものが、同じような作りであるとなると、あながちあちらも嘘ではないかもしれない。