2013年03月02日
Posted by こち at
◆ 2013年03月02日01:17 Comment(0)
立石公園
高松香西の勝賀山のすぐ横の丘のような小山に立石公園はある。
浜街道沿いにある芝山神社に巨石があるのを確認して以来、この近辺に他にも巨石遺構があるに違いないと地図とにらめっこしていた際みつけたこの「立石」という名前。
何かあるに違いない、と実際に行ってみた。

真ん中で割れているらしきこの巨石、往時はかなりな大きさであっただろうと思われる。
いろいろと新しい石仏や社が置かれて、名前が付けられている。

実際に行ったのは去年の9月だが、記録しておかないと忘れてしまうので、書こう書こうと思いつつはや半年近く。
案の定、詳細は忘れてしまっている。

北側にあるお寺の一部として大事に祀られているようである。

投石権現と書いてあるお堂。
お堂の中は、鏡岩だったらしいが、今は歌のような文字が彫られている。
この鏡岩、ほぼ真東を向いている。尾道千光寺と向島のような通信施設であれば、この向かい側の山にもう一つ鏡岩がこちらを向いているはずである。
ここから見れば、峰山がほぼ東にあたる。峰山の西面の調査に行かなくてはいけない。

南北に楕円形に配置されている巨石群は、南側に大きな立石がある。下の写真は北側から撮ったもの。

南側から立石。割れているとはいえ、かなりな大きさです。

南側遠くより撮った立石。立石は真南を向いている。

立石そばのほぼ真南の位置に鉄塔が立っている。通信施設を作る地勢というのは、古代も現代も変わりない証しである。

真西に勝賀山。

より大きな地図で 磐座 を表示
浜街道沿いにある芝山神社に巨石があるのを確認して以来、この近辺に他にも巨石遺構があるに違いないと地図とにらめっこしていた際みつけたこの「立石」という名前。
何かあるに違いない、と実際に行ってみた。
真ん中で割れているらしきこの巨石、往時はかなりな大きさであっただろうと思われる。
いろいろと新しい石仏や社が置かれて、名前が付けられている。
実際に行ったのは去年の9月だが、記録しておかないと忘れてしまうので、書こう書こうと思いつつはや半年近く。
案の定、詳細は忘れてしまっている。
北側にあるお寺の一部として大事に祀られているようである。
投石権現と書いてあるお堂。
お堂の中は、鏡岩だったらしいが、今は歌のような文字が彫られている。
この鏡岩、ほぼ真東を向いている。尾道千光寺と向島のような通信施設であれば、この向かい側の山にもう一つ鏡岩がこちらを向いているはずである。
ここから見れば、峰山がほぼ東にあたる。峰山の西面の調査に行かなくてはいけない。
南北に楕円形に配置されている巨石群は、南側に大きな立石がある。下の写真は北側から撮ったもの。
南側から立石。割れているとはいえ、かなりな大きさです。
南側遠くより撮った立石。立石は真南を向いている。
立石そばのほぼ真南の位置に鉄塔が立っている。通信施設を作る地勢というのは、古代も現代も変わりない証しである。
真西に勝賀山。
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2013年02月28日
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◆ 2013年02月28日01:57 Comment(0)
猫山の秘密
冗談のような名前のついている「猫山」。
綾歌はレオマの裏山である。
名前の由来は、絶対に猫の頭に見えるからに違いない。
この山は、実際には4つの峰からなる連山である。東から大高見峰、小高見峰、猫山、城山と連なる。
ところが、見る角度によっては、城山と猫山が猫の耳、その間の平らな部分が猫の額に見える。ドラえもんの頭を想像していただきたい。
子供のころ、琴平の小学校から見る(南西から)度に、あそこにはドラえもんの秘密工場があるに違いないと妄想を膨らましていた。
おじさんになった今では、ドラえもんを作ってるとは思わないが、もっと高度な科学技術の結晶であると考えている。
結論から言う。
猫山の耳は、ピラミッドである。
城山の耳も、石組のピラミッドである。

城山は、名前の通り、戦国の世は城とされており、その遺構も残っているが、部分的に不自然なさざれ石や巨石が露出しており、山自体が人工物で、城はそれを再利用したものであろう。
猫山は登山道に石段が組まれていたような痕跡があり、


頂上手前に、さざれ石で作られた門柱が左右に設置されている。
不自然にここだけにさざれ石、私は古代のコンクリートであるとみている。
この門より先は、階段状に円形のテラスとなっており、数段上が頂上になる。

頂上部にはストーンサークルがあり、中心には方位石が設置されており、それを中心に正確に東西南北に複数のさざれ石と自然石を加工した石柱が崩れて立っている。

奥の石と石の間に手前の石を合わせると真西

逆に真東に大きなさざれ石
讃岐平野の中央にある猫山は、樹木を伐採すれば、360度ほぼ障害物が無く、測量、通信、エネルギーの送信に最適な場所である。
瀬戸内沿岸に設置された多数の同様の巨石との間で通信する中継点もしくは総発信元として申し分ない。
城山の頂上も往時は同じようなストーンサークルがあったに違いない。
疑うなら、コンパスを持って、登ってみるべきである。古代の科学文明を感じられるであろう。
というような妄想をしつつ、城山から大高見峰まで縦走したのであった。


名前の由来は、絶対に猫の頭に見えるからに違いない。
この山は、実際には4つの峰からなる連山である。東から大高見峰、小高見峰、猫山、城山と連なる。
ところが、見る角度によっては、城山と猫山が猫の耳、その間の平らな部分が猫の額に見える。ドラえもんの頭を想像していただきたい。
子供のころ、琴平の小学校から見る(南西から)度に、あそこにはドラえもんの秘密工場があるに違いないと妄想を膨らましていた。
おじさんになった今では、ドラえもんを作ってるとは思わないが、もっと高度な科学技術の結晶であると考えている。
結論から言う。
猫山の耳は、ピラミッドである。
城山の耳も、石組のピラミッドである。

城山は、名前の通り、戦国の世は城とされており、その遺構も残っているが、部分的に不自然なさざれ石や巨石が露出しており、山自体が人工物で、城はそれを再利用したものであろう。
猫山は登山道に石段が組まれていたような痕跡があり、


頂上手前に、さざれ石で作られた門柱が左右に設置されている。
不自然にここだけにさざれ石、私は古代のコンクリートであるとみている。
この門より先は、階段状に円形のテラスとなっており、数段上が頂上になる。

頂上部にはストーンサークルがあり、中心には方位石が設置されており、それを中心に正確に東西南北に複数のさざれ石と自然石を加工した石柱が崩れて立っている。

奥の石と石の間に手前の石を合わせると真西

逆に真東に大きなさざれ石
讃岐平野の中央にある猫山は、樹木を伐採すれば、360度ほぼ障害物が無く、測量、通信、エネルギーの送信に最適な場所である。
瀬戸内沿岸に設置された多数の同様の巨石との間で通信する中継点もしくは総発信元として申し分ない。
城山の頂上も往時は同じようなストーンサークルがあったに違いない。
疑うなら、コンパスを持って、登ってみるべきである。古代の科学文明を感じられるであろう。
というような妄想をしつつ、城山から大高見峰まで縦走したのであった。

2013年01月26日
Posted by こち at
◆ 2013年01月26日01:41 Comment(2)
三木町嶽山
讃岐の里山を制覇すると誓って、はや5年(いや、ちがうかもしれん)。
いまのところ、40座近くであろうと思われる。
今日は、三木町の岩山、嶽山に登ってみた。
平日から何をしとるんや、というお叱りもごもっともですが、私の仕事は他人が暇な時ほど忙しい。
逆に言えば、他人が忙しい時こそ、私は暇なのです。
昨日からの強風であるが、かまわず出発。
山の中は樹が生い茂っているので想像ほど寒くないと、常日頃から口癖のようにして、悪友を誘っている。
今日も I 氏を連れ出し、一路東へ。
広域農道県道13号線、上高岡の交差点をから南へ折れると、嶽山が見えてくる。
より大きな地図で 里山 を表示
適当に走って、香川用水が東西を走っている道を西へ。
すぐに左手に登山道入り口の看板が見える。
ただ、この先、この登山道入り口までは、ダートで結構荒れてるので、うちのコペンでは入れない。
今日は、友人のバモスだったので、そのまま突っ込む。
登山口の前はひらけているので、車数台は置けそうです。
かなり低い山なので、さっさと登ります。
森の中の整備された感じのいい道を15分も歩くと、突然岩場に変わります。
ここからは、鎖が張ってあるほどの急斜面。
しかし、ここは意地で鎖には頼らず這っていきます。
なんだか別世界のような岩場を登り詰めると、鳥居が立っており石の社。
この石の社ののっている岩が三角点。
南側にもう一つの峰があるので、細い稜線を進みますが、今日は全国的に暴風が吹いています。
吹き飛ばされそうになりつつ、向こう側にたどり着くと、こちらにも石の社。
こんな低い山で、散歩気分で登れて、ここまで楽しめて、抜群の景色。
讃岐一の称号を、勝手に授けさせていただきます。
2012年08月19日
Posted by こち at
◆ 2012年08月19日01:01 Comment(0)
向島岩屋山巨石群
前回の尾道千光寺に続き、対岸の向島を訪れた。
しまなみ海道を渡り、大三島へ行った際、カーナビが指した帰り道は、意外にも尾道経由。

時間も遅いが、せっかくなので、向島の岩屋山にある巨石の下見をしておこうと思い、高速から降りて国道をのんびり進むと、突然巨大な石が目に飛び込んできた。

すでに6時近くになっていたので、登るつもりはなかったが、この山、100m程度しかないうえに、ほぼ山頂近くまで道路が続いている。これは、登るしかない。

高速の側道付近に、巨石をアピールする幟が連なっているので、迷うことなく登り口に到達することができた。
舗装路からのびたコンクリートの坂道を進むこと数分、あっけないほどに最初の巨石に遭遇した。
案内板を見ると、これは陽石らしい。

盃状穴のようなものも。

ここの石は、かなり崩落が激しく、至る所が割れ落ちている。一番大きな石はどうも鏡岩だったのではないかと思う。千光寺の鏡岩同様、丸く彫りこまれており、そのラインに沿って上部が割れ落ちているように見える。
ただ、この石の向いている方角は、対岸の千光寺ではなく、真逆の南である。
あとでも述べるが、大元神社裏の千光寺側にも鏡岩の残骸らしきものがあり、それはまさしく千光寺のある北側を向いている。
私の考えでは、千光寺の鏡岩からの信号を大元神社裏の鏡岩が受け、それを中継して南へ送信するために、この南向きの鏡岩があるのではないかと思うのだ。

「飛び出す岩」と案内板にはあるが、明らかにこの鏡岩(私の中では鏡岩と断定)の一部が割れて落ちてきているだけに見える。

夏至の朝日が昇る方向に割れているという岩。
さらに進むと、岩屋が現れる。

見えにくいが、左の小さめの岩に三本の線刻がある。
少し前までは全体的に扉があったようで、その痕跡や木材が四角く入り口を囲むように残っている。

岩屋内部。比較的新しい梵字が彫られている。

岩屋前広場の石。

岩屋の右側(北)の石は、先ほどの夏至の朝日、冬至の夕日に対応している割れ目がある。

その割れ目から西側を見る。

割れ目を通り抜けた所。オーブ?水蒸気でしょう。

広場北側の奇怪な形の岩、明らかに周りの石と異なる様である。猪に見えるような気も。
広場にいたる途中、草刈をされていた女性と出会う。彼女もこの巨石に自発的に手入れをされるほど魅せられていて、巨石談義に花が咲く。岩屋の写真まで頂くが、お名前を聞くのを忘れてしまった。

頂上の猪のような石の北側、千光寺や西国寺から信号が発信されていたとなると、このあたりにそれを受信する何かがあるのではないかと探してみるが、それらしきものはない。

ここからは、対岸の千光寺の玉の岩がはっきりと見える。
あきらめて、先ほどの女性が大元神社も素晴らしいとおっしゃっていたので、そちらに向かう。

大元神社の由緒書きは、普通の神社とかなり違う。


神社脇の三連の巨石。四国でもそうだが、こういった小さめの石は三連になっていることが多い。
展望台を目指し、進む途中にも巨石が点在する。

そのうちの一つしめ縄が張られ、ご神域なので立ち入り禁止となっている石の表面に丸く彫られた部分が、全体的に割れているようなので、どうも縦に立っていた鏡岩が割れ、上を向いてしまったように見える。(大分暗くなってきたので、ピンボケ気味)

頂上付近で、千光寺側に向かう鏡岩が確認できなかったのは、おそらくこの巨石の上部にあった、今は割れて倒れてしまっている部分が、対岸に対応する鏡岩であったからだろう。この写真はその鏡岩の下側の土台であると思われる。
なんせ真っ暗だったので、フラッシュをたいてようやく表面の文字が確認できたぐらいで、ほとんど何も見えなかった。

展望台付近にも、巨石。

すでに日は暮れてしまった。
8月5日訪問
しまなみ海道を渡り、大三島へ行った際、カーナビが指した帰り道は、意外にも尾道経由。

時間も遅いが、せっかくなので、向島の岩屋山にある巨石の下見をしておこうと思い、高速から降りて国道をのんびり進むと、突然巨大な石が目に飛び込んできた。
すでに6時近くになっていたので、登るつもりはなかったが、この山、100m程度しかないうえに、ほぼ山頂近くまで道路が続いている。これは、登るしかない。
高速の側道付近に、巨石をアピールする幟が連なっているので、迷うことなく登り口に到達することができた。
舗装路からのびたコンクリートの坂道を進むこと数分、あっけないほどに最初の巨石に遭遇した。
ここの石は、かなり崩落が激しく、至る所が割れ落ちている。一番大きな石はどうも鏡岩だったのではないかと思う。千光寺の鏡岩同様、丸く彫りこまれており、そのラインに沿って上部が割れ落ちているように見える。
ただ、この石の向いている方角は、対岸の千光寺ではなく、真逆の南である。
あとでも述べるが、大元神社裏の千光寺側にも鏡岩の残骸らしきものがあり、それはまさしく千光寺のある北側を向いている。
私の考えでは、千光寺の鏡岩からの信号を大元神社裏の鏡岩が受け、それを中継して南へ送信するために、この南向きの鏡岩があるのではないかと思うのだ。
「飛び出す岩」と案内板にはあるが、明らかにこの鏡岩(私の中では鏡岩と断定)の一部が割れて落ちてきているだけに見える。
夏至の朝日が昇る方向に割れているという岩。
さらに進むと、岩屋が現れる。
見えにくいが、左の小さめの岩に三本の線刻がある。
少し前までは全体的に扉があったようで、その痕跡や木材が四角く入り口を囲むように残っている。
岩屋内部。比較的新しい梵字が彫られている。
岩屋前広場の石。
岩屋の右側(北)の石は、先ほどの夏至の朝日、冬至の夕日に対応している割れ目がある。
その割れ目から西側を見る。
割れ目を通り抜けた所。オーブ?水蒸気でしょう。
広場北側の奇怪な形の岩、明らかに周りの石と異なる様である。猪に見えるような気も。
広場にいたる途中、草刈をされていた女性と出会う。彼女もこの巨石に自発的に手入れをされるほど魅せられていて、巨石談義に花が咲く。岩屋の写真まで頂くが、お名前を聞くのを忘れてしまった。
頂上の猪のような石の北側、千光寺や西国寺から信号が発信されていたとなると、このあたりにそれを受信する何かがあるのではないかと探してみるが、それらしきものはない。
ここからは、対岸の千光寺の玉の岩がはっきりと見える。
あきらめて、先ほどの女性が大元神社も素晴らしいとおっしゃっていたので、そちらに向かう。
大元神社の由緒書きは、普通の神社とかなり違う。
神社脇の三連の巨石。四国でもそうだが、こういった小さめの石は三連になっていることが多い。
展望台を目指し、進む途中にも巨石が点在する。
そのうちの一つしめ縄が張られ、ご神域なので立ち入り禁止となっている石の表面に丸く彫られた部分が、全体的に割れているようなので、どうも縦に立っていた鏡岩が割れ、上を向いてしまったように見える。(大分暗くなってきたので、ピンボケ気味)
頂上付近で、千光寺側に向かう鏡岩が確認できなかったのは、おそらくこの巨石の上部にあった、今は割れて倒れてしまっている部分が、対岸に対応する鏡岩であったからだろう。この写真はその鏡岩の下側の土台であると思われる。
なんせ真っ暗だったので、フラッシュをたいてようやく表面の文字が確認できたぐらいで、ほとんど何も見えなかった。
展望台付近にも、巨石。
すでに日は暮れてしまった。
8月5日訪問
2012年08月12日
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◆ 2012年08月12日00:27 Comment(0)
尾道鏡岩
広島県尾道市
誰もが知ってる坂の街、尾道。
我々マニアにとっては、聖地である。
ロープウエーのある千光寺山、その東側の小高い山にある西国寺、さらに東側の山にある浄土寺、この三つの山の巨石は、すべて対岸の向島の大元神社がある岩屋山を向いている。
千光寺本堂の裏につい最近、本堂横の玉の岩の光を反射したであろうといわれる鏡岩が発見されている。
ここは垂直な壁に彫ってあるので、保存状態がよく、当時のノミの跡がはっきりと判別できる。
で、この光が向かいの大元神社の石に光を送っていたらしいのである。
実は、私も、大元神社と西国寺のタンク岩に崩れて倒れしまってはいるものの同様の鏡岩らしきものをつい先日発見しており、現在確認中である。
まあ、まずは千光寺を普通とは違った目で観光してみよう。

千光寺の山上の駐車場は山の反対側にあるので、北側から若干登らねばならない。たくさんの花の植わった公園を登ると、山頂付近から、いきなり巨石のオンパレード。
ここから千光寺までは逆に下っていくことになる。

無数の石組。

丸い河石のサークルが地表より浮き出ている。

こんな巨石の隙間を通っていく。

千光寺本堂の裏手には、巨石を積み上げた壁。
上部には、対岸の向島に向いた鏡岩が顔出している。
これが、向島に光を送っていた例の鏡岩である。
鏡岩の真下は岩屋になっている。

本堂はこれらの石積みに沿うように建っている。

本堂に向かって左手に玉石を戴く三角形の巨石。
更に西側に進むと三重岩等があり、その向こうに石鎚さんを祀る行場がある。久々に開放されたらしい。当然、登らねば。

登り口横に夫婦岩、二つ並んでいるから夫婦であって、皆様の期待する陰陽石ではないようです。

全て石積み。

てっぺんから見た向島と夫婦岩。
石積みは延々とつながっており、右手に進めば、鏡岩の真横まで行けそうである。で、ルートを外れて近づいてみる。


鉄塔の下を過ぎると、さっきの玉石を上から見ることができる。
鏡岩の横には垂直な石の壁。

鏡岩を真横から撮ってみました。

降り口から見た行場。

尾道名物。

誰もが知ってる坂の街、尾道。
我々マニアにとっては、聖地である。
ロープウエーのある千光寺山、その東側の小高い山にある西国寺、さらに東側の山にある浄土寺、この三つの山の巨石は、すべて対岸の向島の大元神社がある岩屋山を向いている。
千光寺本堂の裏につい最近、本堂横の玉の岩の光を反射したであろうといわれる鏡岩が発見されている。
ここは垂直な壁に彫ってあるので、保存状態がよく、当時のノミの跡がはっきりと判別できる。
で、この光が向かいの大元神社の石に光を送っていたらしいのである。
実は、私も、大元神社と西国寺のタンク岩に崩れて倒れしまってはいるものの同様の鏡岩らしきものをつい先日発見しており、現在確認中である。
まあ、まずは千光寺を普通とは違った目で観光してみよう。
千光寺の山上の駐車場は山の反対側にあるので、北側から若干登らねばならない。たくさんの花の植わった公園を登ると、山頂付近から、いきなり巨石のオンパレード。
ここから千光寺までは逆に下っていくことになる。
無数の石組。
丸い河石のサークルが地表より浮き出ている。
こんな巨石の隙間を通っていく。
千光寺本堂の裏手には、巨石を積み上げた壁。
上部には、対岸の向島に向いた鏡岩が顔出している。
これが、向島に光を送っていた例の鏡岩である。
鏡岩の真下は岩屋になっている。
本堂はこれらの石積みに沿うように建っている。
本堂に向かって左手に玉石を戴く三角形の巨石。
更に西側に進むと三重岩等があり、その向こうに石鎚さんを祀る行場がある。久々に開放されたらしい。当然、登らねば。
登り口横に夫婦岩、二つ並んでいるから夫婦であって、皆様の期待する陰陽石ではないようです。

全て石積み。
てっぺんから見た向島と夫婦岩。
石積みは延々とつながっており、右手に進めば、鏡岩の真横まで行けそうである。で、ルートを外れて近づいてみる。
鉄塔の下を過ぎると、さっきの玉石を上から見ることができる。
鏡岩の横には垂直な石の壁。
鏡岩を真横から撮ってみました。
降り口から見た行場。
尾道名物。

2011年02月24日
Posted by こち at
◆ 2011年02月24日15:06 Comment(0)
詫間 ばくち山
最近、話題のばくち山。
その名前から、賭け事に御利益あるというので行ってきた。
荘内半島へ行く232号線から山側を見ながら走ると、登山口への案内板がたっている。その後も、曲り角のたんびに立て札をつけてくれているので、迷うことは無い。

駐車場に車を停めて、15分も歩けば、八畳岩に着く。

石垣?
遺跡データベースに、「博智山遺跡」とあったので、何らかの遺跡ではあろう。

きれいにL字に巨岩を割っていたりするので、採石の跡のようだが。

城跡なのか、巨石信仰の地を削って石を取ったのか、謎は深まる。
更に山頂へ向かって、歩を進める。

頂上には三方向に道。南側は妙見山、東は?
妙見山に向かう。
小さな峰を二つ越えると、妙見山山頂へ到着。
連れのI氏は病み上がりなので、ここで折り返す。
これで、グリーンジャンボ一等当選は確実。
その名前から、賭け事に御利益あるというので行ってきた。
荘内半島へ行く232号線から山側を見ながら走ると、登山口への案内板がたっている。その後も、曲り角のたんびに立て札をつけてくれているので、迷うことは無い。
駐車場に車を停めて、15分も歩けば、八畳岩に着く。
石垣?
遺跡データベースに、「博智山遺跡」とあったので、何らかの遺跡ではあろう。
きれいにL字に巨岩を割っていたりするので、採石の跡のようだが。
城跡なのか、巨石信仰の地を削って石を取ったのか、謎は深まる。
更に山頂へ向かって、歩を進める。
頂上には三方向に道。南側は妙見山、東は?
妙見山に向かう。
小さな峰を二つ越えると、妙見山山頂へ到着。
連れのI氏は病み上がりなので、ここで折り返す。
これで、グリーンジャンボ一等当選は確実。
2011年02月21日
Posted by こち at
◆ 2011年02月21日13:33 Comment(0)
高瀬富士 爺神山
11号線鳥坂峠をとばして、次の坂を上がり終えようとした時、突然パンク。
コンビニの前でパンク修理を終え、空気を入れなおし、空気入れを外した途端、ポンとチューブのバルブが空を飛んでいってしまった。
フレンチバルブは、バルブが半固定されていて、紛失することが100%無いはずなのに。
はい、悪いのは私です。ケチってチューブを10年近く換えてないのが理由です。
経年劣化。
というわけで、家から2,3キロ離れたところで、立往生。
帰るよりは高瀬の町で新しいのを買う方がはやい。そのまま押して、西村ジョイまで行くと、ありました、MTB用26インチチューブ、ただし英式バルブ。
合いません。
駅前の通りに一軒ぐらい自転車があるはず。とぼとぼ押して、駅前を北から南へ。
自転車はあったのだが、担当者不在で在庫がわからないということで、あきらめて本来の目的地、爺神山へ向かう。
太師堂の裏から登れると聞いていたので、適当に探す。
とりあえずふもとへ行けば、何とかなるはず。
適当に歩くと、山をぐるりと回っている道を発見。
すぐに金刀比羅神社を見つける。ここが、よく言われている中腹(頂上では無い)にある謎の三角点の設置場所である。
自転車を置いて、てくてくいくとミニ88ヶ所があり、更に進むと、太子堂に着いた。
よく整備された道。
10分足らずで、頂上に到着。
雨乞いの記念碑を越えると、ほとんど木が無いので、360度の展望。
無残な採石跡。
帰り道、天満宮をみつけたので、行ってみる。
このまま、歩いて帰ると、仕事に間に合わないので、救援の車を呼ぶ。
教訓、消耗品はいつか本当に消耗する。
2011年02月16日
Posted by こち at
◆ 2011年02月16日16:52 Comment(0)
高松 袋山に巨石
冬場は、カヤックも自転車も半お休み。
年をとったのか、この冬から寒いのが辛い。
で、それほど寒くない里山をうろうろ。

快晴の日曜日、おんぼろ単車(これも寒い)で東へ向かった。
旧11号線鬼無の運動公園あたりから、山へ入る。
歩き始めて、いきなり旧斜面。金曜日の鷲ノ山で、スパッツを忘れてたため登山靴はびしょびしょで陰干し中、代わりのワークブーツは底がつるつる。残雪がすべり、まともに上がれません。四つんばいで這って進む。

急斜面に入ってすぐに、なんだか人口物っぽい石積みを発見。なんじゃろ?灯篭の笠っぽいな。

頂上手前はごろごろと小石が転がっている上、猪のひづめ跡、やばい、襲われたら転がり落ちるしかない。
一生懸命登ると、石灯籠が見えてきた。

頂上は平らで、思っていたよりも広く、北側には小さな社。
岩座に線刻を発見。ペトログラフか?

よく見るとアルファベット、いたずら書きであった。
袋山はいくつかピークが連なる細長い山、頂上から北を望むと、次のピークに巨石が見えた。

よし、ここを下ろう。

一歩足を踏み出して、即後悔。ああ、滑落していく。
写真で見るよりも、絶壁に近い。こんな靴で来るんじゃなかった。
誰かの張ったロープにしがみつき、滑り落ちる。

何とか斜面を滑り降りて、尾根筋に出た。お地蔵さんが待っていてくれたので、手を合わす。
これ以降の斜面は、比較的緩やかで、ぼちぼち登る。
頂上から見た巨石に到着。国土地理院の地図では、211mとだけ表記があるので、頂上から数えて第2ピークとしておこう。

第3ピークの頂上手前にも巨石。

第4ピーク?は、なだらかな丘のように広がっていて、そろそろ谷間かと思って周りを見渡す。
なんと西側に更に大きな巨石群!!

誰かが、石にペンキで矢印を書いている。何の意味?
しかし、大きくて範囲も広い。県内では今のところ、第一位にしておこう。

巨大な岩境か?

さらに下を見ると、まだまだごろごろ。



一番大きな石組みの下に長細い石を発見。4mぐらいか。船石と名づけよう。

石を割った痕が残っている、この割り方、いつの時代?現代か?

ひとつだけ質の違う石が。
ワークブーツに水がしみ込んで、つま先が痛くなってきたので、この辺で帰ることにする。
前回の教訓をふまえて、近道はせず、もと来た道をひき帰そう。
遭難はもうごめんです。
年をとったのか、この冬から寒いのが辛い。
で、それほど寒くない里山をうろうろ。
快晴の日曜日、おんぼろ単車(これも寒い)で東へ向かった。
旧11号線鬼無の運動公園あたりから、山へ入る。
歩き始めて、いきなり旧斜面。金曜日の鷲ノ山で、スパッツを忘れてたため登山靴はびしょびしょで陰干し中、代わりのワークブーツは底がつるつる。残雪がすべり、まともに上がれません。四つんばいで這って進む。
急斜面に入ってすぐに、なんだか人口物っぽい石積みを発見。なんじゃろ?灯篭の笠っぽいな。
頂上手前はごろごろと小石が転がっている上、猪のひづめ跡、やばい、襲われたら転がり落ちるしかない。
一生懸命登ると、石灯籠が見えてきた。
頂上は平らで、思っていたよりも広く、北側には小さな社。
岩座に線刻を発見。ペトログラフか?
よく見るとアルファベット、いたずら書きであった。
袋山はいくつかピークが連なる細長い山、頂上から北を望むと、次のピークに巨石が見えた。
よし、ここを下ろう。
一歩足を踏み出して、即後悔。ああ、滑落していく。
写真で見るよりも、絶壁に近い。こんな靴で来るんじゃなかった。
誰かの張ったロープにしがみつき、滑り落ちる。
何とか斜面を滑り降りて、尾根筋に出た。お地蔵さんが待っていてくれたので、手を合わす。
これ以降の斜面は、比較的緩やかで、ぼちぼち登る。
頂上から見た巨石に到着。国土地理院の地図では、211mとだけ表記があるので、頂上から数えて第2ピークとしておこう。
第3ピークの頂上手前にも巨石。
第4ピーク?は、なだらかな丘のように広がっていて、そろそろ谷間かと思って周りを見渡す。
なんと西側に更に大きな巨石群!!
誰かが、石にペンキで矢印を書いている。何の意味?
しかし、大きくて範囲も広い。県内では今のところ、第一位にしておこう。
巨大な岩境か?
さらに下を見ると、まだまだごろごろ。
一番大きな石組みの下に長細い石を発見。4mぐらいか。船石と名づけよう。
石を割った痕が残っている、この割り方、いつの時代?現代か?
ひとつだけ質の違う石が。
ワークブーツに水がしみ込んで、つま先が痛くなってきたので、この辺で帰ることにする。
前回の教訓をふまえて、近道はせず、もと来た道をひき帰そう。
遭難はもうごめんです。
2011年02月13日
Posted by こち at
◆ 2011年02月13日01:16 Comment(0)
坂出市&国分寺 鷲ノ山
以前から気になってた鷲ノ山。府中湖の東側のギザギザの小さな山である。

国分寺の鷲峰寺から登る。

ミニ88か所に沿って登っていき分岐点より尾根筋に向かうと、一つ目のピークへ着く。この日は、例の大雪の金曜日、急な斜面にシャーベット状の雪。すべること数十回。

第三ピーク付近で、巨石発見。

表面に文字発見。
ペトログラフか?それとも漢字の「畝」の部首か?

南国四国へようこそ。
第三ピークで岩座発見。上に社がのっているが、八幡さんの紋がある。この他にも尾根筋には巨石がごろごろ置かれている。
ここが頂上。322m。くじらのような巨石。この周りにも石が点在している。
この後、東側に下山するも、迷子。
あわや、高松市内で遭難するところであった。
国分寺の鷲峰寺から登る。
ミニ88か所に沿って登っていき分岐点より尾根筋に向かうと、一つ目のピークへ着く。この日は、例の大雪の金曜日、急な斜面にシャーベット状の雪。すべること数十回。
第三ピーク付近で、巨石発見。
この後、東側に下山するも、迷子。
あわや、高松市内で遭難するところであった。